そんなタイトルを自分で付けてみました、どーも、噂のBoss.です。
ちょいちょいここのブログに『Boss.』の文字が書かれていたので、
塩尻店フェローに、なんの断りもなく、
突然ブログを書いてやろうと思ってみました。
本当は密かに、
「Boss,ブログ書いてくださいよ~!」
なんて言われるのを期待していたワケですが、
みんな、照れ屋さんなので、言えなかったのだと思われます。
かわいー奴らだな☆
照れ屋さんと言えば。
ちょっと真面目なお話をしてみましょう。
例えば、
「愛してる」って、最近、伝えましたか?
いつ、伝えましたか?
誰に、伝えましたか?
もしかしたら、
生まれてから一度も口にしたことのない言葉だったり、しませんか?
それなのに自分は、
いつも誰かに愛されたいと願っていて、
そしてそれを、実感していたい。
そう思っていませんか?
子供の頃。
どんなに不幸な子供時代だったとしても、
人は皆、知らず知らずに誰かの愛を受けて、育ちます。
だから、
気をつけていないと、
ついうっかり、気付けないコトがある。
愛って、
本当は、
受けるモノではなくて、
与えるモノなんだ、ってコトに。
子供の頃に当たり前のように注がれていた自分への愛は、
それを“与えてくれている誰か”在ってのモノ。
想うのです。
大人になる、ってことは、
きっと、そういうことなんだ、って。
大人になる、ってことは、
愛を、与える側に立つ、ってことなんだ、って。
誰かにとっての、
“与えてくれる誰か”になる、ってことなんだ、って。
だからって、
じゃあそれを口に出して伝えればいいってことね?
って単純に言われると、
おいらも少し、困ってしまいます。
最終的に信憑性があるのは、
どうしたって、
言動よりも、行動。
言動は目には見えず、
行動は明らかに目に見える。
それでも、自分は想うのです。
じゃあ、言葉にはやっぱり価値がないのか、と問われれば、
そうじゃない。
言葉には、魂が宿ります。
ありったけの想いがこもった言葉は、
言霊となって、
絶対に、相手の心に届きます。
こんなしょーもないおいらの歌を、
聴いて涙を流す人もいる。
(あ、おいら歌うたいなんです。)
おいらは、いつもそう信じています。
そしてそれを、いつも感じて生きてきた。
明日、自分が絶対に生きている、だなんて、言えますか?
(おいらは死にませんけど。)
明日、自分の大切な人が絶対に死なない、だなんて、言えますか?
(おいらは死なせませんけど。)
後悔したくないから、伝えるんです。
(おいら、後悔ばかりの人生でした。)
後悔したくないなら、伝えるべきです。
(これは、その通りです!)
長くなりましたが、何が言いたかったのか、と言うと。
恥ずかしがり屋の塩尻フェローのみんなに、
これを伝えたかったのです。
Boss.キモイー!
Boss.ウザイー!!
Boss.には言ってないー!!!
Boss.ちょっと黙って!!!!
Boss.いい加減にしてっ!!!!!
Boss.ホントしつこい!!!!!!
Boss.本当に嫌いです。
・・・。 (シカト☆)
こらこら、お前ら。
本当は大好きなクセに。
恥ずかしがり屋さんだなぁ、ホントに☆
・・・。
たまにはもう少し、
少しだけでいいんです。
その愛、真っ直ぐに伝えてみようね。(泣)